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『FUKUSHIMA 50』を観て。

土曜日、珍しく母と二人で『FUKUSHIMA 50』を観てきました。

この映画は言わずと知れた、あの東日本大震災が題材となっています。

映画のレビューや口コミには

政府や東電の責任に触れていないという意見もあります。

確かに、その辺りは私も忸怩たるものもありますが、

この映画は、最前線の現場で戦った東電の作業員たちの死闘が

描かれたものです。

あの時、あの建屋の中で何が起こっていたのか

どのようなやりとりが交わされ、どんな決断を迫られていたのか。

極限状態の中で、最悪の事態を避けるために、

時には死と隣り合わせになりながらも

仲間を思い、家族に思いを馳せていた作業員の方たち。

そんな事実を初めて知りました。

名もなき作業員の人たちに一人の国民として敬意を表します。

思うに、いつの世も

苦しんだり辛い思いをするのは、

弱者である一般の庶民と相場は決まっています。

政府の役人や大企業のトップの人たちは

決して現場にくることはなく、高見の見物と口先ばかり。

映画の中でもそういう場面が随所に出てきて

やりきれない思いをしました。

 

映画を観ながら、

ずっと思っていたことは

「なんでこの地震国の日本に、こんな原発を作ったんだ。。。」

ということ。

いや、映画を観て思ったのではなく、地震が起こってから

ずっと思っていたこと。

 

この負の遺産をこれからどうするのか、

国の責任は? 東電の企業としての在り方や姿勢は?

そういうことを問い続ける必要があると私は思います。

 

そして、最後のセリフがこの映画の本当に言いたかったことを

表していると思います。

「この福島第一原発事故は未来に語り継いでいかなければならない。

その役目を俺たちは背負って生きていくんだ。」と。

 

私個人の意見としては、リアリティーのある

とてもよくできた映画だと思います。

でも、

映画の出来具合の良し悪しをどうのこうのと言うよりも、

国民全ての人たちが記憶に留めておくために

この映画を観ておくべきだと思います。

9年経った今、すでに風化してしまいつつある私たちの記憶には

この映画は地震と津波と、何よりも原子力発電の是非をも

改めて問うものです。

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