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映画「閉鎖病棟」を観て。

今日、映画「閉鎖病棟」を観てきました。

帚木蓬生さんの原作で、この人の本は以前何冊か読んだことがあるので

興味を持っていました。

 

観て良かった。

大きく2つ、考えさせられるテーマがありました。

 

以下は少々ネタバレになることが書いてあるので、

これから観る予定のある人は読まない方がいいと思います。

 

のっけから、いきなり重いシーンで始まりました。

死刑執行のシーン。

最初からガッツリ好奇心を捉われてしまってから、

物語はある精神病院へと舞台が移り、

そこでの患者たちの様々な過去や思いが交錯し

事件が起こります。

 

前代未聞の事態となった死刑執行の失敗を得て、

入所している梶木と

幻聴に悩まされ入所することになった元サラリーマンのチュウさん。

そして義理の父親からの暴行がきっかけで入所した女子高生の由紀。

 

入所するまでに至った、それぞれの背景をつきつけられると

そうならざるを得ないという諦観もあるけれど

私が観ていて思ったのは、

この壁の中にいる人たちの方が ”正常” で

私たちが住むこの壁の外の人間が ”異常” なのではないかと。

鬼畜のごとくわが子を虐げ傷つける親や、

夫を裏切り欲に溺れる妻など、

私たちにとって決して心地よいものではないけれど、

毎日のようにニュースや三面記事で見聞きしたり

慣れてしまったありふれた諸々の悪行。

 

対して、病院の患者たちは

そういう悪行の被害者であり、

私たちのように「よくあること」とか「またか」と

軽く受け流すこともできないで、

心の傷が癒えないままでいる人たち。

 

私たちはすでにありふれた事件や事故の異常性に

マヒしてしまっているのではないだろうか。

 

そして、そんな悲しいやりきれない気づきとはまた別に

もう一つ気づいたこと。

 

 

途中、入所していた初老の女が一人で外出している間に

孤独死するというくだりがあって、

彼女は身寄りが全く居ないのに、

長男の所に泊まってくるとか、末娘の所に行く、

などと見栄を張った嘘をついて時々外泊するのだけど、

その嘘をみんな知ってて知らないふりをしてくれる。

最期は自分が生まれ育った海を見ながら一人寂しく死んでしまうのだけど、

その嘘が悲しくて、やりきれなくて

ともすると、自分の将来はあんな風になるのではないかと

胸を衝かれて、涙が出て仕方なかった。

彼女も、もしかしたら誰か一人でも家族が居たら

こんな終わり方はしなかったんじゃないか、と思ってしまう。

 

人は、生きる希望を人によってもたらされる。

お金とか、やり残したこととか、そういうものはやはり二の次で

「あの人のために生きたい」

「あの人がいるから生き続けたい」という思いは

何にもまして強く、根源となる生きる希望になり得るということ。

そんな救いとなる思いを証明する場面を

最後の最後に観られたことで、

明るい気持ちになり、心が幾分軽くなって

映画館を後にしました。

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