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2月2日。父の命日。

昨日、2月2日は父の命日でした。
父の好きな栗饅頭を買ってきて、お供えしました。
早いもので来年は七回忌です。
数年前、父のことをFacebookに投稿したことがあります。
その文章を多少の修正を加えて、ここに載せておきたいと思います。
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(長文です)
 父が他界して、
3年目のお盆が終わった。
 
私は父が嫌いだった。
子供の頃、
父とどこかに出掛けた記憶は無い。
一緒に遊んでもらった記憶も無い。
塗装看板業を営んでいた父は、職人堅気で偏屈。
内弁慶で亭主関白で、
家庭のことは全部母に任せきり。
酒好きで、
父が呑んで帰る夜は、
酔っ払ったた父に絡まれるのが嫌でたまらず、
母と私達兄弟は息を潜めて寝たフリをして
やり過ごしていた。
でも、
そんな父も仕事だけは休まず、
真夏の暑い日も、雪の降る日も
仕事の依頼があれば必ず納期までに仕上げて、
尚且つ
綺麗な仕事をする事では取引先から信用のある人だった。
今でも、
看板を黙々と描いてるいる背中と
身体中に沢山のペンキをつけて帰ってくる姿と、
疲れて居眠りしている姿が目に浮かぶ
 
そんな父も
晩年に交通事故にあってから
私と母とで自宅介護をしながら、
病院と介護施設を行き来する身体になり、
家族共々、過酷な辛い6年間を過ごした。
あの介護の辛さは、
体験したことがある人にしかわからないと思うし
ここには書ききれないほどの
悲喜交々の経験をさせてもらった。
 
私自身、
多忙を極めていた仕事と
更年期特有の体調不良とが重なって
ストレスがかなり溜まっていたこともあったけれど、
父が、度々深夜に粗相をし、
母と汚物の始末をしている時、
私は父にひどい言葉を浴びせることがあった。
そんな時、父は
『ごめんね、ごめんね』 と、
何度も手を合わせて私に謝っていた。
かつての、
あの自分勝手だけれども
威厳を持って仕事をしていた父の面影など微塵も無かった。
あの時の老いた父の姿は眼に焼き付いていて
今でも複雑な思いと共にどうしようもなく胸が痛む。
 
思い返すと、
父の介護をするようになってから、
少しずつ父への思いが
変わっていったような気がする。
ちょっとした仕草や、
他人の目ばかり気にする所や
変なプライドばかりある所や
正義感は滅法強い所、
仕事だけはバカみたいに一生懸命するところ。
嫌な所も良い所も、
しっかり私は受け継いでる。
紛れもなくわたしは父の娘なんだと。
似ているからこそ、私は反発していたんだと。
父が息を引き取る時、
その現実を受け止めることが出来ずにいたけれど、
これが最後なんだと自分に言い聞かせて、
『今までありがとう!』
と、万感の想いを込めて父の耳元で言った。
すでに意識は無かったけど、
瞼が少し動いたような気がした。
 
不思議なもので、
父が亡くなってからの方が父を慕う気持ちは強くなった。
よく、親が亡くなった後
『あれもしてやれば良かった、
これもしてやりたかったと後悔している』
と人は言う。
私も一時はそう思って後悔していた。
“どうしてあんな酷いことを言ったんだろう”
“なぜあんな冷たい態度を取ってしまったんだろう”
と自分を責めた。
でも、
いくら親孝行しても
完璧に満足できる親孝行なんて無いのではないかと
最近思う。
唯一あるとしたら
親から与えられた自分の生を悔いなく生きること。
生涯かけて愛する人を見つけること。
他人や世間に迷惑をかけず、
自分のやりたい事を思う存分にやること。
 
それでいいのだと思えるようになった。
親はそんな子を見て、
産んで良かった、
一生懸命育ててきて良かった、
と、それだけで満足ではないのかと。
 
だから、
私はこれからやりたい事をやり、
後悔のないように、好きなことして
人生を謳歌していきたい。
そして、
笑顔で人生を終えたら

天国で父に逢ってこう言いたい。
『お父さん、ありがとう。私、精一杯生きたよ!!』
と。

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